コロナ禍で考える「家づくり」

コロナ禍で考える「家づくり」

2020年、2回目の東京オリンピックの開催年に、新型コロナウィルスによってこのような社会状況になるとは誰が予想したでしょうか?誰もが同じような事を思い、一日も早いコロナの終息を祈っているに違いありません。

こうした状況も半年が経とうとしていますが、身の回りにも少しずつ影響がでてきている気がしています。街にでると社会のスピードが自粛以降スローペースになったままです。社会、世界全体がこのようなペースダウンの状態では、個人が焦っても仕方ないのだと思います。今は粛々と、家族の健康、目の前にある事を第一に過ごしていかねばと思っています。

写真は、自粛中の一コマ。窓辺にテーブルと椅子を移しおやつを食べ始める息子。
外に行きたいけど、家にいないといけない思いが現れたのか、
こうした設計者として嬉しい窓辺の使われ方を見ると、
コロナも前向きに捉えられる瞬間でした。


さて、本題の「家づくり」についてですが、4月の緊急事態宣言以降のステイホーム期間では、これまで生きてきた中でこんなに家にいた事は初めての経験でした。家族揃って三回の食事を食卓で過ごし、仕事と生活がシームレスに続く。携帯の写真を見直すと家の中での写真ばっかりでした。恐らく、全世界の人たちが「家」について考えていただろうし、家と世界が強く結びついた特別な期間だったんだと思います。また、ニュースでは、アフターコロナの社会像について、オンライン化による業務の効率化、新しい需要喚起など、転換された社会の一側面が語られていますが、一方で生活に関して言えば、田舎暮らしでのテレワークや限られた時間を有効に使うことで生み出す新しい生活の可能性が示唆されています。つまりは、社会によって拘束されてきた時間を個人に還す変化です。仕事と生活のバランスにおいては、これまで「家」を出て「会社」に着き、また「家」に戻るという生活形式が、「家」を拠点に仕事と生活が複合する新しい生活形式になるのだとすれば、「家」の価値観も変化し、重要性も高まってきます。もちろん、全ての仕事には当てはまるわけではありませんが、「家」の可能性を開く上では、この期間にアフターコロナの「家づくり」に、考えを巡らせるのは良い機会になると思い、ここに’コロナ禍で考える「家づくり」’と題し、これまでの設計を通して感じてきた考えを記していきたいと思います。

つづく

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