アフターコロナの予感

コロナ禍で考える「家づくり」

10月になって、非常勤講師で行っている大学の授業では、後期に入りようやく完全なリモート授業は回避され、対面に戻ったり、対面とリモートを半分に分けておこなったりと、ウィズコロナ時代の教育の模索がまさに始まっています。外部実務者として設計を教えるにあたっては、やはり設計の醍醐味である直接のコミュニケーションや臨場感を味わえるように、直接スケッチを書いたり模型を加工したりして案を発展されていくところが、リモートでは行えず少し消化不良なところがあったのですが、ようやくソーシャルディスタンスをとっての対面エスキスになり、その点が解消されるのではと安心しています。ですがリモート授業になって良かった点もありまして、例えば出席や提出物がシステマチックに管理され、授業中や宿題の作業効率がグンとあがりました。これは教える側の利点だけではなく、最近のアルバイトや就職活動と忙しい学生にとっても、限られた時間の中で成果を生み出す効率的な学びになるのだと思います。こうしたこれまでの設計技術の本質は変えずに、新しさを重ねた方法がとられています。まさに学生の新しい生活形式に応じた、アフターコロナを予感する経験でした。(以下加筆修正しました)


一日何往復もする階段の様子。
形や素材が異なる3つの階段によって、見える景色や空間もそれぞれで
階段の辛さが楽しさに変わる工夫をしています。

さて、家の場合はどうでしょうか。ハウスメーカーに代表される流通する家のイメージは、機能的で合理化されたものですが、昨今の多様なライフスタイルにおいて、画一した規格プランの中で住むには、少し息苦しいものだったように思います。その息苦しさを感じたのは、コロナの第二波が落ち着き帰省したときの事、各部屋を繋ぐ長くて暗い廊下によって、LDKや個室が孤立しそれぞれの関係が閉じていた所でした。それは、家自体が生活になんら影響を及ぼさない静的な関係であることが起因しているように思いました。計画学的には、廊下の動線を短くするという考えや、通る以外の役割を担わせる事で改善はできます。ただこうすれば良いというノウハウで部分的に改善したとしても、静的な関係は解消されません。例えば奈良や京都の町家は、通り土間のように奥へと続く動線の一部が台所となっていて、上部の天窓からご飯支度の湯気に光が差し込み、換気効果をもたらす。このような機能の重複に加えて、人の感情をゆさぶる部分が備わっている所がありました。

アフターコロナの世界、特に生活においては、リモートで働き方が変化することを契機に、メーカー中心にIoT化が加速し、より便利で効率的な住宅が計画されていくと思います。それで便利になり時間が増える事はもちろん良い事だと思いますが、建築家としては、先の町家の通り土間のように、住宅自体に人の生活を豊かにする動的な働きかけがある事が、時間を忘れその場所の変化を享受する、効率とは別の時間と場所のあり方を示す可能性があるのだと思います。

つづく。

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