住まいのルーツ

コロナ禍で考える「家づくり」

新型コロナウィルスの第三波真っ只中、2021年がはじまりました。
年末年始で昨年と違ったのは兵庫県姫路市の実家から今回は帰省しない方がいいのではないかと言われ、大阪に留まったことです。
私自身は職住一体の生活で以前より必要な時以外は自宅にいて、妻も育休中なので、家族以外の接触がほとんどない毎日で大丈夫と言ったのですが、それでも念には念をということで今回は見送ることになりました。じいじばあばに会うのを楽しみにしていた子供はとても残念がっていました。

築30年ほどの実家。地元の建設会社で働く父親が選んだ
外壁の焼杉は、経年変化で良い味がでています。


さて、こうした生まれ育った場所でさえも、コロナ禍においては人の繋がりが減ると同時にその場所の繋がりも減ることを実感しました。昨年からその機会が随分減り普段はあまり考えない、地元で過ごした時の記憶を思い出したりする事も多かったように思います。実家で過ごした日々は、良い意味でも悪い意味でも、今の生活や仕事、色々な事に影響しています。家の一室で洋裁教室を開いていた母親の仕事の合間に、たまに一緒におやつを作ったりしていたのが、働きながら住む事や趣味の料理につながっていたり。また、雨の時によく出窓から外の風景を見て過ごしていたことが、窓辺にこだわって設計している事に通じていたり。直接に影響はしないまでも、小さな経験が積み重なって、住まいや仕事のルーツにつながっています。

こうした家やその町で過ごした経験が今の仕事や生活に少なからずつながっているのは、誰もに共通することだと思います。新しく設計を始めるときにはいつも、こうしたルーツを感じることができる部分や、子供達のこれからのルーツとなるような部分を作りたいと考えているのですが、例えばとのまビルにおいても、密集したビル街だからこそ、育った場所のような抜け感のある風景が見える窓の前にダイニングスペースを置いて食事ができるようにしました。その風景を見ることで、一息つける特別な場所となったり、子供の記憶に残る世界にここだけの場所になって欲しいと。異なる環境であっても、住宅の一部を介して離れた場所や記憶を感じる事ができるのは建築の強みです。特にコロナ禍において、私自身が改めてその大切さを感じたのでありました。

 

生活と街の様相が交わる窓辺での日常を
記憶に残して欲しいと思っています。

つづく。

 

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