あの時のことから、

コロナ禍で考える「家づくり」

コロナ禍ひっそりとこのHP上でコラムとして書いておりました「コロナ禍で考える家づくり」。

更新したい事柄は増える一方、日々目の前の事に向き合っている間に、気がつけばコロナが終わっていたこともあり、執筆が滞っておりました。

それでもこの少ない期間の中で、書いて良かったことは、問い合わせやインスタからのDMで、「コラム見ています」というありがたいお声や、とのまビルに訪問されたお客さんから直接感想の声を聞くことができたことです。

また、このコラムとの連携も兼ねて同時期に開設したインスタグラムの事務所アカウントはおかげさまでフォロワー数が2500人程に増え、その内の多くは、多くの子育て世代の方にフォローいただきました。

インスタグラムストーリーでの日常の様子。

直接的な人の接触が減った中、ストーリー機能で見る事ができたフォロワーさんの子育てで奮闘されている生活の様子は、困難な時にでも決して生活を諦めない強さを感じることができ、私自身生活の励みとなっていました。そして、私もそれに呼応するように「とのまビル」での生活の様子をポストし、一子育て世代として皆さんと併走している様を発信し続けています。

こうした双方向のつながりを得られて、「とのまビル」はじめ、私の作る住宅に、少数ではありますが共感を持たれている理由がどのような所にあるのか。ふとした疑問を持つようになりました。単なるデザインが良い住宅であれば、他にもたくさんの建築家や事業者がいます。どちらかと言えば、斜面地や狭小地、当の本人はビルをリノベーションして住んでいるという、住まいの中心的な考え方ではなく、その「周縁」にあたる価値観のもので、決して一般受けするものではありません。

おそらく、大きかった要因はコロナ禍で誰もが特異な状況下に陥ってしまったからこそ、社会全体の価値観が「周縁」だったものから「中心」へとシフトしたからではないでしょうか。当時言われていた新しい生活様式=ニューノーマルは、まさにこうした状況を言い表しています。例えば、当時少なかった予防医療や、リモートワークは今や当然のように行われているように、周縁的な状況が加速し、今や当たり前になっています。

そして、私たちの考えや選択も、これまで周囲や社会の流れで決めていたようなことが、自身の考えで決め、家族を守ることを余儀なくされたコロナ禍以降、周縁的な物事を中心的なものとして受け入れはじめ、あの時のことから、住まいの価値観も変化しだしているのだと思います。

つづく。

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