アフターコロナの予感

コロナ禍で考える「家づくり」

10月になって、非常勤講師で行っている大学の授業では、後期に入りようやく完全なリモート授業は回避され、対面に戻ったり、対面とリモートを半分に分けておこなったりと、ウィズコロナ時代の教育の模索がまさに始まっています。外部実務者として設計を教えるにあたっては、やはり設計の醍醐味である直接のコミュニケーションや臨場感を味わえるように、直接スケッチを書いたり模型を加工したりして案を発展されていくところが、リモートでは行えず少し消化不良なところがあったのですが、ようやくソーシャルディスタンスをとっての対面エスキスになり、その点が解消されるのではと安心しています。ですがリモート授業になって良かった点もありまして、例えば出席や提出物がシステマチックに管理され、授業中や宿題の作業効率がグンとあがりました。これは教える側の利点だけではなく、最近のアルバイトや就職活動と忙しい学生にとっても、限られた時間の中で成果を生み出す効率的な学びになるのだと思います。こうしたこれまでの設計技術の本質は変えずに、新しさを重ねた方法がとられています。まさに学生の新しい生活形式に応じた、アフターコロナを予感する経験でした。(以下加筆修正しました)


一日何往復もする階段の様子。
形や素材が異なる3つの階段によって、見える景色や空間もそれぞれで
階段の辛さが楽しさに変わる工夫をしています。

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職住一体からの気づき

コロナ禍で考える「家づくり」

アフターコロナを見据えて、リモートワークが薦められていますが、私は30歳で独立してから13年ほど、生活と仕事の場所を共にしてきました。大学の頃から一人暮らしをしていたので、家事に抵抗はなく、いまや料理は気晴らしになる趣味の一つです。職住一体の形をとったのは、住宅設計とは生活を作る仕事であるので、自分自身が実践者として、住宅の中に仕事場を置くことで、生活の中に新しい気づきを得たいと思ったからです。こうして長い時間を家の中で過ごしていると、周囲の風景や、家の中のものとの関係が親密になるので、窓の位置や断熱などの居住性、ものの魅力や使いやすさの重要性に気づきます。また、家族とはいえ、夫婦子供それぞれ考えの異なる者同士、家の使い方や感じ方も三者三様であるので、日々客観的な発見が生まれます。

物干しテラスから見た風景。
新緑が深まる裁判所の木々や、隣接ビルの外壁の表情。
周囲の風景の微細な変化を眺めています。

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ビルに暮らす

コロナ禍で考える「家づくり」

私は’とのまビル’という、築30年ほどの古ビルをリノベーションした職場兼住居に住んでいます。「なぜ新築ではなくリノベーションなのか?」とよく聞かれますが、私は、家というのは他者によって作られる方が良いのではと思っています。客観的に家族の暮らし方や、周りの環境を見てもらう事で、生活の中で予期しない驚きや喜びが生まれます。自分自身で設計するということは、全てを主観的に計画することになり、答えがわかっている問題を解いているようで、こうした発見が生まれないのではと思っていました。

築30年ほどのビルをリノベーションした「とのまビル」。
2階が設計事務所で、3階からが住宅となっています。

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コロナ禍で考える「家づくり」

コロナ禍で考える「家づくり」

2020年、2回目の東京オリンピックの開催年に、新型コロナウィルスによってこのような社会状況になるとは誰が予想したでしょうか?誰もが同じような事を思い、一日も早いコロナの終息を祈っているに違いありません。

こうした状況も半年が経とうとしていますが、身の回りにも少しずつ影響がでてきている気がしています。街にでると社会のスピードが自粛以降スローペースになったままです。社会、世界全体がこのようなペースダウンの状態では、個人が焦っても仕方ないのだと思います。今は粛々と、家族の健康、目の前にある事を第一に過ごしていかねばと思っています。

写真は、自粛中の一コマ。窓辺にテーブルと椅子を移しおやつを食べ始める息子。
外に行きたいけど、家にいないといけない思いが現れたのか、
こうした設計者として嬉しい窓辺の使われ方を見ると、
コロナも前向きに捉えられる瞬間でした。

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